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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「更級(さらしな)日記」を研鑽-3(完)



「今までは思いもよらなかった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



秋ごろ、住んでいた家を離れて、外へ移ってから、もとの滞在先の主人に

いづことも 露のあはれは わかれじを 浅茅が原の 秋ぞ悲しき

どこに行っても露の風情は変わらないものでしょうけれどあなたのお宅の
浅茅(あさじ)の多く生える草原のような庭の秋の方が恋しく思われます。



浅茅(あさじ)は万葉集では秋の訪れと共にに色づくと詠み季節感を表わす。
平安時代には恋人の心変わりを、浅茅の色変わりにたとえるようになる。
秋は飽き、浅茅は愛情が浅し変色が心変わりの意。ススキとの違いが分からない。

継母は、私の父が下った任地上総から名を取って宮中に上がってからも
上総大輔と名乗り他の夫と結婚した後も、その名を名乗っていると聞いた。



父が、今は不都合だというわけを言いやるというので私が代筆して
天智天皇がましました朝倉の木の丸殿は遠い昔の話となりました。
そんなふうに、あなたが私と夫婦だったのも遠い昔になりましたのに
あなたはまだ上総を名乗っているんですか。もうやめてください。



このような、取るに足らないことを思い続けるのを習いにして
物詣をわずかにしても、しっかりと、人のようになろうとも
念じられないが、最近の世の人は十七八歳から経文を詠み出し
勤行もするのを見て、そんな事は今までは思いもよらなかった。


「物悲しい思いに駆られてしまう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



心地よくさらさらと流れていた川の水も、木の葉がおおいかぶさり
水がうずもれて、水の流れの跡だけが見えている状態だった。



私たちが引っ越してから、木の葉が散る嵐の山の心細さに水すらも住み果て
東山に住む尼に、春まで命があれば、必ずまた来ます。花ざかりにはまず
教えてくださいど言って帰ったが、年明けても連絡が無いので歌を詠む。



契りおきし 花のさかりを つげぬかな 春やまだ来ぬ 花やにほわぬ

約束していた花の盛りをお知らせくださいませんね。
春はまだ来ないのでしょうか。花は色づかないのでしょうか。



よその家に引っ越してきて、月の初めの頃、竹やぶのもとに近く
風が吹けば竹の音に目ばかりさめて、落ち着いて寝られない時に詠んだ。

竹の葉の そよぐよごとに 寝ざめして なにともなきに ものぞ悲しき

竹の葉のそよぐ音が夜毎聞こえるので寝ていても目が覚めてしまうので
わけもないまま物悲しい思いに駆られてしまう。


「風情を理解して感動する人に見せたい」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



八月になって、二十日過ぎの明けがたの月が、たいそう情緒深く
山の方は薄暗く、滝の音も他に似たものがないほど情緒深い中
あたりの景色をぼんやり眺めていて、ふと思った。



山里の秋の夜深い、この有明の月を風情を理解して感動する人に見せたい。
東山を発って京に戻る道すがら、東山に来た時は水ばかりと見えた田も
みな稲の刈り入れが終わっていて、苗代に一面、水を張っていた田。



それが今やすっかり刈り入れが終わっている。そう思うと
私たちはずいぶん長く間、東山にいたのだと思った。



十月末ごろ、ちょっと東山に来てみると、薄暗く茂っていた木の葉が
残りなくだいぶ散り乱れており、たいそう趣深く、あたり一面見渡せて
心地よくさらさらと流れていた川の水も、木の葉がおおいかぶさり
水がうずもれて、流れの跡だけが見えている状態だった。


「松風も音だけは残して帰ります」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



山ふかく たれか思ひは おこすべき 月見る人は 多からめども

山深くにいる私たちのことを、誰か思いおこしてくれる人が
いるのでしょうか。月見る人ならば多いのでしょうけれど。



深き夜に 月見るをりは 知らねども まづ山里ぞ 思ひやらるる

物深く思う夜に、月を見る折には、山の生活は知らないといっても
月よりもまず山里に思いを馳せるものですよ。
きっと都の人たちの中にも、私たちのことを思ってくれる人はいます。



もう暁ではないかと思う頃、山の方から人が大勢来るような気配がする。
目を覚まして山の方角を見やると、鹿が縁先まで来て、鳴いている。
鹿の声というものは、近くで聞いてみると何とも情緒がないものだ。

秋の夜の つま恋ひかぬる 鹿の音は 遠山にこそ 聞くべかりけれ

秋の夜に牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を恋しく思って切なげに鳴く
その鹿の声は遠くの山でこそ聞くべきものだと思う。



せっかく、知人が近いあたりまで来たのに、帰ったと聞いて

まだひとめ 知らぬ山辺の 松風も 音して帰る ものとこそ聞け

はじめて吹き付ける山辺の松風も音だけは残して帰ります。まして
見知ったるあなたと私の仲。顔くらい出して下さっても良かったのに。


「ぼんやり辺りの景色を眺めて」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



念仏する僧が夜明けに勤行する声が尊げに聞こえてきたので
戸を押しあけてみると、ほのぼのと明けゆく山際、薄暗い木々の梢に
あたり一帯霧がかかり、花紅葉の盛りよりも、何となくこんもりと
木々の梢が区切った空の景色は、ぼんやりと曇っていて趣深い。



木の枝の先に、ほととぎすがとまって何度も何度も鳴いていた。

たれに見せ たれに聞かせむ 山里の このあかつきも をちかへる音も

一体誰に見せ、誰に聞かせましょうか この山里の
素晴らしい景色も、ホトトギスが盛んに繰り返し鳴きしきる声も。



この月末の日、谷の方角にある木の上に、ホトトギスが騒々しく鳴いていた。

都には 待つらむものを ほととぎす けふ日ねもすに 鳴き暮らすかな

都の人々はホトトギスの声を聞くのを心待ちにしている人がいるだろう。
ここ山深い地では、今日も一日中鳴き暮らしているというのに。



などと、ぼんやり辺りの景色を眺めてばかりいると、一緒にいる女房が
今この時、京にもほととぎすの声を聞いている人がいるでしょうか。
こうして私たちが侘しく物思いにふけっていると、思いやって
くれる人はあるでしょうかなど言って歌を詠む。


「別れるのを心苦しげに思っていた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



奥山の いしまの水を むすびあげて あかぬものとは 今のみや知る

奥山の石の間の水をすくい上げて飲んで、飲み飽きないものだと
今更知ったのですか。古い歌にも詠まれていますよと言いながら
水を飲んでいた人は歌を詠み返して来た。



山の井の しづくににごる 水よりも こはなほあかぬ 心地こそすれ

古い歌にある山の湧き水の、すくい上げた雫(しずく)に濁る水よりも
ここの水はいっそう飲み飽きない心地がしますよと。



家に帰って外を見ると、夕日があざやかに差しているので、都の方角も
残りなく見渡せるような中、この「しづくににごる」と詠んだ人は
京に帰るといって、私と別れるのを心苦しげに思っていたようだ。



次の日の早朝、昨日あなたと別れての帰り道、山の端に夕日がすっかり
沈んでしまい、それを見るにつけても東山のあなたのことが
心細く思われたことでしたよという。


「思い描いた夢もさめてしまう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



これを見て私の兄が、姉の葬送をした夜のことを思い出して

見しままに もえし煙は つきにしを いかがたづねし 野辺の笹原

見ているうちにすぐに火葬の煙は燃え尽きてしまったのに
乳母はどうやって野辺の笹原の姉の所を訪ねていったのだろう。



何日も雪が降り続けるころ、吉野山にすむ尼のことが思いやられた。

雪降りて まれの人めも たえぬらむ 吉野の山の 峰のかけみち

雪が降ると、吉野山の峰の険しい道では、めったに人は来られない。
まれに来る人の訪れも絶えてしまうだろう。



翌年の正月に行われる除目である司召に、親の任官がようやく叶って
喜ぶべきところ、任官にもれて期待がはずれた早朝、同じく任官にもれて
空しい思いをしているだろう人のもとから、話があった。



いくらなんでも今回は任官できるだろうと思いつつ、夜が明けるのを
待っている心もとなさなどと歌を送って下さった。

明くる待つ 鐘の声にも 夢さめて 秋のもも夜の 心地せしかな

夜明けを待っていると聞こえてくる鐘の音に思い描いた夢もさめて
秋の夜長を百夜も重ねたような待ち遠しい気持ちですと言ってきた。


「探す先から流れ立つ涙を道しるべに」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



乳母子は姉の墓所を見て、泣きながら帰っていったので歌を詠んだ。

昇りけむ 野辺は煙も なかりけむ いづこをはかと たづねてか見し



亡き人が煙となって立ち上っていった野辺にはもう何の目印も
残っていないのに、どうして墓の場所を訪ねていって
その墓をどのように見ることができたのだろうか。



これを聞いて継母であった人が、そこが墓だよと確かな見当も
無かったでしょうけど、先立つ涙こそ道しるべだったのでしょうと言う。



「かばねぬづぬる宮」という物語を贈ってくれた方が

住みなれぬ 野辺の笹原 あとはかも なくなくいかに たづねわびけむ

人も住み慣れない野辺の笹原は目印とて無く、乳母は探す先から
流れ立つ涙を道しるべに墓を訪ねていったのでしょうと詠む。


「姉君を思い出すすべもない」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



「かばねたづぬる宮」という物語を送ってきたので歌を返した。

うづもれぬ かばねを何に たづねけむ 苔の下には 身こそなりけれ

埋もれることもなく残っていた「かばねたずぬる宮」などという
不吉な物語をどうして姉は探していたのだろう。
探していたその姉こそ、苔の下に埋もれて、死んでしまったのに。



「かばねたづぬる宮」とは、三の御子という貴公子が通っていた女が
入水自殺したので、その屍(かばね)を探すが見つけられず
世をはかなんで出家するという話であるが、物語は現存していない。



姉の乳母である人が、今はここに留まるべき理由もありませんなどと
言って泣く泣く実家に帰って行くのに、あなたはこうして実家に
帰っていくので哀しい。なんという悲しい別れなのでしょう。



亡き姉をしのぶ形見に、どうにか留まってほしいと思いますなど書いて
硯の水も凍ってしまったので、文字も私の心も閉じられて何も
書くことができませんと書き送った返事に歌を。

なぐさむる かたもなぎさの 浜千鳥 なにかうき世にあともとどめむ

干潟の浜千鳥が足跡を残すすべが無いように、私はここに残っていても
姉君を思い出すすべも無いのです。どうして留まっておれましょうか。


「産後の肥立ちが悪くて亡くなった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



その五月の朔日(陰暦のついたち)に、姉が子を産んだが産後の
肥立ちが悪くて亡くなり、幼い頃から、よその人のことでさえ
人の死というものは大変悲しいことと思い続けてきた。



そのような私なので、ましてや血を分けた姉の死なので、とても
言いようもなく悲しく思い嘆き、母たちは皆姉の遺体を安置してある
部屋にいたので、姉が残した幼い子供たちを私は左右に寝かせていた。



荒れ果てた屋根の隙間から月の光が漏れ差して来て、子供の顔に当たるのが
とても不吉に思えたので、袖で月の光を覆って、もう一人をも抱き寄せ深く
思いに沈んだが、姉の法要の時期が過ぎて、親族から物語が送られて来た。



亡くなった貴女の姉君が、妹の為に必ず物語を手に入れて送って下さいと
言っていたのですが、姉君の生前は結局手に入れる事ができなかったのを
今になって物語を手に入れたのですが実に不憫で悲しいことですと言う。


「風が吹くと自然と梅の香が香る」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



父である人も不思議に哀れなことで、大納言殿にご報告しようと
言っていたところだったので、しみじみ悲しく、惜しいことに思われた。



かつての住まいは広々として、人里離れた深山のようではあったが
桜や紅葉の折には四方の山辺も比べ物にならないほど素晴らしかった。



それを見慣れていたので、新しい住まいのたとえようも無く狭い所で
庭というほどの広さもなく、木などもないので、たいそう憂鬱な気分である。



向いにある家には、白梅・紅梅が咲き乱れて、風が吹くと自然と梅の香が
香って来ると、住み慣れたかつての住まいが思い出されるのだった。


「火事で可愛がっていた猫も焼けて」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



先払いをしながら車に乗って来た主は車から下りて来ず供の者に
荻の葉と呼ばせるが、答えないようで、車の主は呼びあぐねて
笛をとても優雅に吹きすまして、過ぎていってしまった。



笛の音が、まさしく雅楽の秋風楽のように聞こえていたのに、
なぜ、荻の葉はそよとも答えなかったのだろうと言ったところ、
姉は本当だねといって、荻の葉が答えるまで笛を吹き続けないで
そのまま通り過ぎてしまった笛の音の残念なことはない。



このように夜が明けるまで物思いに沈んで秋の夜空を
ぼんやりながめ夜が明けしらみがかってからみな人は寝た。



その翌年、四月の夜中ごろ火事があって、大納言殿の姫君と思い
かわいがっていた猫も焼けてしまい、大納言殿の姫君と呼ぶと
その言葉を聞き知っているような顔で歩み来たりしていた。


「天の川の川辺に心惹かれて思い巡らした」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



玄宗皇帝と楊貴妃が契った昔の今日の日がどんなふうか知りたいばかりに
彦星のわたる川波のように、思い切ってあなたに、貸してほしい旨を
打ち明け、返しに、牽牛と織女がその両岸に立って逢うという
天の川の川辺には私も心惹かれて何かと思い巡らした。



普段は不吉な書物なので人には貸さないのですが、と言って
今日はそんなことも忘れて、お貸しいたしましょうと微笑む。



同じ年の十三日の夜、月が隈(くま)なく明るい晩に人も寝てしまった
夜中ごろ、縁側に出て、姉である人が、じっと思いを込めて空を眺めて
たった今私が理由もなく飛び失せてしまったら、あなたはどう思うだろう。



そう尋ねるのも、なんとなく恐ろしく思っている私の様子を見て
姉は、別の話題にとりつくろって、笑いなどして聞いていると
かたわらの家の前に先払いをしながら進んできた車がとまった。


「その夢の中に私の将来が暗示され」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



気高く清らかな女性は、美しく衣装を着て、あなたが奉った鏡を下げて
この鏡には願文は添えてありますかと、ご質問になるので
私はかしこまって、願文はありませんとこたえた。



この鏡だけを奉(たてまつ)れということですとお答えすると
奇妙なことですね。願文を添うのがふつうであるのにと言う。
この鏡の、ここに映っている影を見てみなさい。
これを見れば哀れに悲しいと言ってさめざめとお泣きになる。



鏡を見れば、酷く悲しく泣き嘆いている影が映っています。
この影を見れば、とても悲しい感じで、更に、こちらを見てといって
もう一方に映っている影をお見せになるが、多くの御簾が晴れ晴れしく感じ
几帳を押し出した下から、色とりどりの衣の裾や裳がこぼれ出ている。



庭では梅桜が咲きウグイスが木の間を鳴きわたっているのを見せて
これを見るのはうれしいことよとおっしゃっている夢を見ましたと
僧は語ったと言うが、当時の私は、その夢の中に私の将来がどのように
暗示されているかなんて興味もなかったので、耳にも留めなかった。


「気高く清らかな女性があらわれた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



御帳の内側に入った変な夢だったが、目が覚めてからも、このような
夢を見たことを人にも語られず、もやもやとして、心にも思い留めず
清水寺を後にしたが、書き留めておかないと徐々に夢を忘れる。



母は、直径一尺の鏡を鋳(い)させて、私を初瀬詣でに連れて
行けないかわりに、僧を代理人として立てて、初瀬に参詣させたらしい。



三日籠って、わたしが将来どうなるか、夢に見させて下さいなどと言って
参詣させたようだったが、その三日間の初瀬籠りの間は
都にいる私もかなり精進させられた。



この僧が帰って来て、夢も見ないで寺を後にするのは不本意なことで、
どうしても帰ってご報告するのだと思い、一生懸命勤行して、
寝たところ、御帳の方より、気高く清らかな女性があらわれた。


「不機嫌がっている夢を見る」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



このように、何もする事もないままに、ただぼんやりと過ごしていて
どうして物詣くらいしなかったのだろうと少し悔んでいた。
母はたいそう昔気質な人で、初瀬はひどく恐ろしいと言い
奈良坂で人さらいにあったらどうするのですか。



石山寺は、逢坂山を越えて行くのでひどく恐ろしいところ。
鞍馬はもちろん恐ろしいところである。
お前を連れて行くなんて、ひどく恐ろしいことですよ。
父上が上京してこられたら、とにかくも私をほったらかしの人のように
わずらわしがって、わづかに清水に連れて行って籠った。



それにも例の私の空想癖のせいで、本来やるべき祈願にも集中できず
彼岸のほどなので、とても人が多く騒がしく恐ろしいとまで思われて
うとうとと眠った所、御帳の方(仏前にたらした幕)の
犬防ぎ(寺社の内陣と外陣との境に設けた格子のこと)の内側に



青い織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいた僧が、この寺の別当と
思われる僧が私に寄ってきて、行く末どんな悲しい運命が待ってるとも知らず
そのようにたわいもないことばかりに没頭してと不機嫌がっている夢を見る。


「子しのびの森の話を聞くにつけても」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



神拝という儀式をしていたところ、水が趣深く流れている野に
木が群がっている所があり趣深い所で、見せてやれないのが残念だ。
ここは何という所ですかと聞くと、子しのびの森だと答えた。



身につまされてたいそう悲しかったので、馬からおりて
そこに四時間ほど佇み、ただぼんやりとしながら思った。

とどめおきて わがごとものや 思ひけむ 見るにかなしき 子しのびの森



お前もわが子をどこかに置いてきて、私のように悲しい気持ちなのか
見るも悲しい子しのびの森よとあるのを見る心地は
言うまでもなく胸がいっぱいになる。返事には



子しのびを 聞くにつけても とどめ置きし ちちぶの山の つらきあづま路

子しのびの森の話を聞くにつけても、私を京に留め置いて秩父山の
向こうのあづま路へ赴任された父上のことを恨めしく思います。


「子しのびの森の話を聞くにつけても」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



神拝という儀式をしていたところ、水が趣深く流れている野に
木が群がっている所があり趣深い所で、見せてやれないのが残念だ。
ここは何という所ですかと聞くと、子しのびの森だと答えた。



身につまされてたいそう悲しかったので、馬からおりて
そこに四時間ほど佇み、ただぼんやりとしながら思った。

とどめおきて わがごとものや 思ひけむ 見るにかなしき 子しのびの森



お前もわが子をどこかに置いてきて、私のように悲しい気持ちなのか
見るも悲しい子しのびの森よとあるのを見る心地は
言うまでもなく胸がいっぱいになる。返事には



子しのびを 聞くにつけても とどめ置きし ちちぶの山の つらきあづま路

子しのびの森の話を聞くにつけても、私を京に留め置いて秩父山の
向こうのあづま路へ赴任された父上のことを恨めしく思います。


「あづまより父の便りを持った人が来た」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



貴方は多くの女性に目移りがする浮気なお方。まじめに物詣に行く
私のことまで、花見に行くと思うのですね。私は物詣に行く所なので
あなたと一緒にしないで下さいとだけ供の者に言わせて、行き過ぎた。



七日太秦ごもりの間にも、ただあずま路の父のことばかり思いやられて
物語に夢中になり取り留めもない妄想にひたることからは、かろうじて
離れて、つつがなく父に会わせてくださいと申し上げたことは
仏も不憫に思って、お聞き入れくださるだろう。



冬になり、一日中雨が降ったその夜、雲を吹き払うような強い風が吹き
空は晴れ月がとても明るく照り、軒近く伸びた荻(オギ)が風に吹かれて
乱れるのが不憫で、秋の盛りを、どんなふうに思い出しているだろう。
冬が深いので、嵐にもまれる荻の枯葉は。



あづまより父の便りを持った人が来た。
神拝という儀式をして、国のうちをまわっていたところ、水が趣深く
流れている野がはるばるとある所に、木が群がっている所がある。


「貴方は多くの女性に目移りする浮気な方」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



父があづまの国へ出立してより、人の訪れも減ってしまい寂しく心細く
物思いに沈みつつ、父は今どへんかしらと明けても暮れても思いやる。

あづまへの道も知っていることであり、はるかに恋しく心細いことは
限りも無いと思うが、朝から晩まで、東の山際を眺めて過ごした。



八月ごろに京都太秦の広隆寺ごもりをするのに、一条大路を経由して
詣でる道すがら、男車が二つほど止めてあるのを見て、物詣に一緒に
来るらしい人を待っているようだと思いながら通り過ぎて行った。



護衛の者を、私たちの所によこして、花見に行く途中ですが美しい花の
貴女に見とれてしまいましたが、お花見ならご一緒にいかがですと言う。
黙っていると、供の者に答えないのも無粋なものですよと言われる。



千草の花を好まれる心だと私まで秋の野に見えるのですね。私は花見に
行くのではありません、貴方は多くの女性に目移りする浮気なお方。
まじめに物詣に行く私のことまで、花見に行くだなんて思うのですね。


「私が思い通りにできる身であったなら」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



父と顔をあわせて涙を零して、すぐに出発するのを見送る心地である。
目もくれまどい突っ伏してしまったが、私と共に京に留まる下男が
途中まで父の見送りをして帰って来て、懐紙に書かれた歌を見せる。



思ふこと 心になかふ 身なりせば 秋のわかれを ふかく知らまし

私が思い通りにできる身であったなら、秋の別れをしみじみと
かみしめるのだが、今はその暇もなく、あわただしく
出発しなければならないとだけ書かれている。



だが涙に暮れて私は、なかなか見ることができない。
平穏無事な時であれば下手な歌を書いたことなども思い出され
とにかく何を言うべきかも考え付かないままに歌を詠んだ。



かけてこそ 思はざりしか この世にて しばしも君に わかるべしとは

この世で父上とほんの少しの間でもお別れすることになるなんて
私は少しも思いもよりませんでしたなどと書いたのだろうか。
悲しみのあまり、記憶がはっきりしていない。


「父と私と顔をあわせ涙をほろほろ零す」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



お前を京に残していっても、お前を迎え入れてくれるしっかりした
親類縁者があるわけでもないし、そうはいっても、せっかく手に入れた
国司の地位を辞退するわけにもいかないので、お前を京に残して行った。



これが今生の別れともなりそうで、都にてよき結婚相手を見つけた後に
お前を京に留め置きたいとも思うが、それもおぼつかないと、昼夜父が
お嘆きになるのを聞く心地は、花紅葉を見る悦びもみな忘れるほど。



何とも悲しくなり、とても思い嘆かれるけれど、どうしたらいいのか。
どうにもならないまま、七月十七日に父は任地常陸に下ることとなった。
出発前五日ともなると、顔をあわせるのもかえって悲しいのに違いない。



私の部屋にも入って来ず、出発当日はばたばたして、出発の時となれば
お別れだということで私の部屋の簾(すだれ)を引き上げて父と私と
顔をあわせて涙をほろほろと零して、直ぐに出発するのを見送る心地だった。


「お前はどうなるだろうと心配だった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



私もお前も前世の因縁で余程、運が悪かったのか、とうとうこんな
はるかな田舎の国に赴任することになってしまった。



お前が幼かった時、上総国に連れ下った時でさえ、もし私が病気にでも
なったら、お前はどうなるだろうと心配だったのに、ましてやこんな
田舎で私が死んだら、お前を露頭に迷わせる事になるだろうと思った。



田舎暮らしの不便さを思うにつけても、わが身一つのことならば
なんとかなるものを、大勢の家族を連れて任地へ下り、言いたいことも
言えず、したいことも出来ずなどあるのが、不憫だと心を砕いていた。



ましてやお前は大人になったのだから、任地に連れ下って私の命も
おぼつかないなか、親が死んだ後、都のうちにて露頭に迷うのは
よくある話で、まして東国の田舎人として露頭に迷うのは悲惨だと言う。


「自分自身よりも高くお前をもてなし」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



最近の人たちは17歳の若さから経文に目を通し勤行もしている。
からうじて思いつく事としては、高貴で、姿形、物語の光源氏のように
美しい人を、年に一度だけでも通っていただきたいと憧れるものである。



そして、浮舟の女君のように、山里に自分は隠し置かれて
花、紅葉、月、雪をながめて、心細げに、見事な文などを時折
待って見たいとそんな事を思い続け、そうなりたいと、願うのだった。



親がそれなりの地位に立ったら、とても高貴なさまに私もなるだろうと
ただあてにならないことを思って長年を過ごしてきたところ
親はかろうじてではあるが、はるかに遠い常陸国の国司になった。



長年の間、いつか思っているように都に近い国の国司になったら
まず思う存分お前を大切にして、任国につれ下って、海山の景色も見せ
自分自身よりも高くお前をもてなして、可愛がってやろうと話されていた。


「仏教に救いを見出した所で幕を閉じる」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



地上から1メートル程の高さに浮いている蓮華の台座に座っている御仏は
御丈1.8メートルばかりで、金色に光り輝いておられ、片方の御手は
広げたようにされて、もう片方の御手は印を結んでいらっしゃる。



他の人は拝見することができず、私一人だけが拝見できるのだったが
尊くありがたいとは思うものの体が硬直し恐ろしくて身がすくむように
感じたが、簾のそば近くに寄って拝見することもできないでいた。



御仏は、今回はこのまま帰り、後に再び迎えに来ようとおっしゃったが
その御仏の声は私にだけ聞こえて、他の人は聞くことができないと
言う所までの夢を見て、はっと目がさめてみると、もうすでに朝であった。
この夢ばかりは、後世を願う心頼みだと理解していた。



菅原孝標娘は、今まで何とも、いとはかなくあさましと書き綴り、ようやく
現実が見えてきたのか、光源氏のような素敵な殿方は現れず、平凡な夫と結婚。
子どもの独立後、夫に先立たれ、菅原孝標娘は孤独な最期を迎えようとした矢先
仏教に救いを見出したところでこの40年にも及ぶ物語は幕を閉じた。



菅原孝標娘は晩年、平安時代の夢と転生の物語「浜松中納言物語」を書き
三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海(ほうじょうのうみ)」の原案となった。
今日で「更級(さらしな)日記」は完となり、明日より「枕草子」を予定。


「心頼みとすることが一つだけあった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



夢の中で鏡に映った悲しげな姿だけがその通りに実現したようだ。
その事を思うにつけ、何とも痛切に悲しいことであると思った。



ただこのように、何一つ望みの叶うことなしに生涯を
過ごしてしまった私のこととて、よい報いを受けるための
善根を積むようなこともせず、ぼんやりと日を送っている。



このようにいつ死を迎えても惜しくないような日々を送っているが
それでもやはり命は、つらい思いのあまり消え果てることもなく
生き長らえてゆくもののようだが、来世も極楽浄土の願いは叶わないに
違いないと、不安であったが、心頼みとすることが一つだけあった。



それは夢の中で、私の住んでいる家の軒先の庭に、阿弥陀仏が
お立ちになっておられ、はっきりとはお見えにならず、霧が一重隔てて
ぼんやりと透けてお見えになる御姿を、霧の切れ目から強いて拝見する。


「恩顧にあずかるような身」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



わけてとふ 心のほどの 見ゆるかな 木陰をぐらき 夏のしげりを

生い茂った夏草を踏み分けながら
あなたは私をわざわざ訪ねてきてくださいました。
そして今また、あなたは冬のさなかに、私に文をくださいます。
夏に訪ねてくださった時と同じ志が、そこに見えて嬉しいです。



昔から、たわいもない物語や歌ばかりに夢中になっていないで
夜昼心がけて仏道に励んでいたならば、きっとこんな夢のように
はかない運命にはあわないですんだかも知れない。



以前初瀬にお参りした時、稲荷の神からくださった、霊験のある杉だよと
言って投げ出してくださった夢を見たのだったが、あの時初瀬から
退出した足で稲荷神社にお参りしていたならば、こんなにも
不幸な身とならずにすんだのかも知れない。



長年にわたり、天照大神をお祈り申し上げよという夢を見たのは
高貴な人の御乳母を勤めて、宮中などに住み、帝や皇后の御恩顧に
あずかるような身となる前兆だとばかり、夢占いの人も判断した。


「ことさらに貴女のことを思う(完)」

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こんなおぼつかない私にも、いつも天照大神(あまてらすおおみかみ)を
お祈り申し上げなさいという人があらわれた。

どこにいらっしゃる神だろう、あるいは仏だろうか、などと思い
そうはいっても、だんだん分別がついてきて、人に質問してみた。



天照大神は神様で、伊勢にいらっしゃいますと言う。
紀伊の国に、紀伊の国造(こくぞう)があがめ奉っているのは
この天照大神の神様で、また宮中の内侍所で守護神として
崇められている神様でいらっしゃいますという。



伊勢の国まで出かけるなど、考えることもできない。
そんな遠いところまでどうして参詣できよう。とてもできない。
空の太陽を拝んでいればいいかしらなどと、浮ついたことを考えていた。



親族である人が、尼になって修学院へこもった時、私は冬ごろその人に、

涙さへ ふりはへつつぞ 思ひやる 嵐吹くらむ 冬の山里

涙までこぼれるほど、ことさらに貴女のことを思っています。
冬の山里では嵐が吹き荒れているでしょうね。


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